愛するらん丸の旅立ち

はじめに 〜悲しみに向き合うと決めた〜
2025年3月3日、我が家の大切な家族、らん丸が旅立ちました。 人生でこんなに泣いたのは、初めてかもしれません。
今までの私は、悲しみを感じても、涙が出ないようにごまかして、やり過ごすことが多かったけれど、今回は私の気持ちにちゃんと向き合うことを決めました。
心の内側にあるものをしっかり受け取る事を自分に許可したのです。
「いない」という事実
「悲しみの裏には喜びがある」 それは知識としては知っているけれど、今回ほど深くその言葉の意味を体感したことはありませんでした。
朝、目が覚めて隣を見ても、そこに居たはずのらん丸はもういない。
「おはよう、今日の調子はどう?」と話しかけなくなった日常。 らん丸のための食事を作らなくなったことや、夫とふたりで外出や散歩に出かけられるようになったこと―― それらのひとつひとつが、「らん丸がもういないんだ」ってことをリアルに突きつけてきます。
出会いと絆
そもそも、らん丸は私が心身共に疲弊し、人生のどん底にいた時に出会った子でした。
らん丸はそれまでの5年間、ケージの中でブリーダー犬として過ごしており、外の世界を知らず、あらゆるものに怯えているようなとても繊細でビビりな子でした。
私が体調不良で辛くても、頼ってくれる存在が居ることで、暮らしの中に小さな責任感や温もりが生まれたら――そう思って、らん丸を迎えたのです。
そんな時から一緒に暮らしてきたので、ただの「飼い主と犬」という関係を超えて、存在そのものが支えだったように思います。

亡くなる覚悟
昨年5月、大きなてんかん発作を起こしてからは、らん丸中心の生活に切り替えていきました。
「年末までもつか覚悟しておいて」と言われていたから、一日一日を大切に、いつも必ず誰かがそばにいるようにと生活そのものを調整してきた日々でした。
今はまだ、家に帰って「ただいま」と声をかけても、そこに迎えてくれる存在がいないことの方が違和感です。
窓辺の机の下で日向ぼっこして寝ているんじゃないか、なんて無意識にその姿を探してしまいます。

らん丸との日々は、当たり前じゃなかった。 どんな瞬間も、どんな状態も全てを受け入れ、愛おしい奇跡の連続だった。
悲しみの奥にあったもの
今回、らん丸を失って とめどなく流れる涙と共にどこまでも果てしなく広がっている「愛」が私の中にはあるんだという事をはっきりと気付かされました。
そして、そのことに心から気づけたのは、私が悲しみから逃げなかったからだと思います。
それは「愛情」という感情の一部なんかではなく、「愛そのもの」でした。 命が命として存在することそのものが、愛そのものなのだという感覚。
言葉では表現しきれない深くて大きな愛です。
命と向き合う日々だったから
発作のあと、らん丸の体はどんどん痩せていきました。 背骨が曲がって、歩くのもやっと。
けれどもらん丸は毎日ご機嫌で満足そうでした。
一時期食欲が落ちた時なんかは何が食べられるのか体の声を聞ける私のセラピストとしての本領発揮でした。
美味しそうに食べてくれる姿が何より嬉しくて。夫とふたりで「立派なウンチが出た!」と喜び、「今日も生きていてくれてありがとう」と毎日感謝していました。
そんな、今まで以上に手がかかり、気にかける日々になったからこそ、私たちはらん丸のすべてをより深く愛し、どんな状態であっても、存在そのものをまるごと愛している事に気づけたんだと思います。
そして、らん丸もまた、まっすぐで純粋な愛を私たちに送り続けてくれていました。
それは、まさに愛のエネルギーの交換。 言葉では交わしていないけれど、深いレベルでの対話が、そこには確かにありました。

喋り続けた最期の3日間
亡くなる最後の3日間は、本当に壮絶でした。 どんな手を尽くしても止められない発作。
らん丸は、もともとおとなしい性格で、そんなに吠えることをしなかったのですが、最期の3日間は、声を振り絞るようにして鳴き続けていました。
その声の中には、幼い頃の記憶、寂しさ、恐れ、喜び、そして私たちとの思い出―― まるで走馬灯のように、自分の一生を語っているような声でした。
最初は「もっとこうしてほしかった」という文句のような響き。 そして徐々に淡々とした、さとすような「ありがとう」「頑張れよ」「楽しかった」と、語りかけるような穏やかなトーンに変わっていきました。
苦渋の決断と、尊厳の看取り
小さな刺激さえも大きな発作の引き金になってしまう状況。 緩和ケアとして行なっていた皮下点滴の注射も、発作を誘発させるため、らん丸の体が拒否を示しました。
『無理に点滴すれば苦しいのを長引かせるだけだ。』『命の尊厳を守る選択をするんだ。』 飼い主として、緩和ケアを止めるという辛い決断。けれども、『口から水も飲めない状態では脱水して尿毒症によっての最後になるだろう。』
それがわかっているだけに緩和ケアを止めると決めても、何度も心は揺らぎ「まだ間に合うよ」「点滴を再開しようよ」、 そう何度もらん丸に問いかけましたが、返ってくるのは明確なメッセージ。 「ママ、ダメだ」 「これでおしまいなんだ」、らん丸の強い意志に、私はただ見守ることしかできませんでした。
最後の瞬間までらん丸は私に愛を伝え続けてくれました。 「これまでありがとう」 「そのままでいていいんだよ」
受け取った愛、そしてこれから
私は、らん丸の中に人間と同じような感情や記憶が存在することを体験しました。
本当はもっとらん丸が元気な時から動物としての種を超えて、感情も想いも共有し合い、もっともっと、らん丸の声を聴くことができたのかもしれない。 そんな想いも湧いてきますが、それも含めて、私の人生にらん丸が残してくれた大切な贈り物です。

本音でつながる未来へ
改めておもいます。
私は命が発する“本当の声”を感じ取って対話することができる。
それは都合の良いことばかりではありません。 子どもの頃、大人の言葉の裏にある本音や建前に気づいてしまって、黙って距離を置いたこともありました。 でも今は、それも私の大切な感受性のひとつだと認めてあげたいのです。
今後は、その感性を活かし、本音で人とつながる在り方を育んでいきたい。 言葉にできない思いを、受け取る人でありたい。
そして私は、これから出会う人と、心からの対話をしながら、生きていきます。
命と命がつながる、その尊い瞬間を大切にしながら。
らん丸、ありがとう。 あなたの愛は、今も私の中で生き続けています。
これからも、ずっと一緒にいようね。
